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Umbrelland

柴原智咲が自分の足で世界をあるいていくブログ

「社会貢献」への違和感

雑記 ソーシャルビジネス

 

 こんにちは、柴原です。

 

 先日、とあるビジネススクール主催の、ソーシャルビジネスプランを発表するコンテストを見てきました。

 …そこに行った私が持ち帰ったのは、なんだかわからない「違和感」。

 

 なんなんだ、これは...?!!

 

 ~というわけでこの違和感の正体について考えてみましたよ、ってお話です。

 

社会をより良くする

  社会起業家。ソーシャルビジネス。

 最近、友人がこの手の方向で色々走り回っているので知ったのですが、近年、じわじわと盛り上がっているワードのようですね。

 

 はてなキーワードのリンクをみてもらえればわかると思いますが、「社会貢献」と「ビジネス」を一緒に進める――ビジネスの手法で社会問題の解決を図る―—といった活動ですね。

 

 さて。ここで既に私は違和感というか、引っ掛かりをおぼえました。

 

 ”社会をより良くする”

 

 ちょっと待って。「社会」ってなに...?「より良く」ってどういうこと...?

 

 ”ソーシャルビジネス”のメリットとしては、以下のようなものが挙げられます。

  • 社会問題の解決
  • 自身の成長
  • 新たな雇用、市場の創出
  • 社会の活性化

 

 確かに「イイコト」のように思えます。「イイコト」なんでしょう。

 でも、だからと言って、「社会に貢献する」を前面に押し出す姿勢には違和感があります。事業が本当の「貢献」になっている立場に居ればまあ「イイコト」。しかし、「貢献」の陰ではまた何らかの問題の種が芽吹く。それに対して、またさらに違う人が違う手法で「イイコト」をする...。

 

 ソーシャルビジネスの名をもって、「社会の為だ!!」と人々がそれぞれに、「イイコト」を推し進める状態。

 ソーシャルビジネスは、その根本に「変えたい」という志があるからこそ強い。しかしそれは裏返せば「それしか目に入らない状態に陥りやすい」ということではないでしょうか。

 

 そもそも、「社会」って、なんでそんなに解決しなきゃいけないことが多くなってるんだ??

というか、「変える必要」ってどれだけあるんだ??

 

 

社会の為か、自分の為か

  「社会のため」「望んでいる人がいるから」。それもまた事実だと思います。

 一方で、「人に認められたい」「人に感謝されたい」という、いわゆる承認欲求も、ソーシャルビジネスというものには絡んでいるはずです。

 

 自分が活躍できる場が欲しい。

 自分の存在理由が欲しい。

 

 社会に貢献するのが生き甲斐、という裏には、「社会に貢献して、何かをやり遂げている自分」という存在への意識が潜んでいるような気がします。

 

 私自身はやったことはありませんが、発展途上国への支援ボランティア等の話はよく耳にしますね。

「子供たちの笑顔で、大きな達成感を感じました」

「こんな私でも、力になれたという自信がつきました」

 

 確かに、「より良い」ほうへと進む一歩だろうと思います。

 でも、そもそも「より良い」って何??「より良い」ってそんなに良いことなの?? 

 

 

 必死に何かをする。必死に取り組む。社会を変えようとする。

 

 しかしこの「必死さ」が、細分化が進み、全体像を捉えづらくなった現代という渦巻く海において、「自分の意味」を求めようとしている漂流者のもがきのように思える。

 ”次の時代を担う”私たちが目指すべきは、こうした他者への働きかけをする「社会貢献」なのか、はたまた個々が自分の存在の意義を問い、自分を確立して、「満ち足りた個人」になることなのか。

 

 今回のコンテストは当然「刺激しあって高めあう」「ソーシャルビジネスの促進」という面もあったわけですが、このようなコンテストから影響を受け、ただ「自分もやってみよう!!」と安易に思うだけではいけないと思う。

 

 「変えたい」という意志があるからこそ、「目の前を変える」ことだけを見ずに、「変えたい」と思う人間のコミュニティ内では完結しない、広い思考をするべきだと思う。