戸隠古道を行く。戸隠神社、徒歩での五社巡り。①
こんにちは、柴原です。
以前の記事で書いた通り、しばらくは試行錯誤が続きます。
まずは、2016 年に色々なところに行った話でもしていこうかと思います。
かなり前の話になりますが、2016年の9月に長野県戸隠に行ってきました。
最初の記事以来のひとり旅です。
成人してから初のひとり旅。ついに旅先でアルコールが飲めるようになりました。(笑)
旅の楽しみの幅も広がります。
今回は長いのでいくつかの記事にわけて投稿していきます。
戸隠神社とは
戸隠は長野県長野市の北西部にあります。
JR東日本「大人の休日俱楽部」のCMで有名になった樹齢400年を超える杉並木が印象的な、パワースポット。
そうです。吉永小百合さんが出てるあのCMです。
戸隠神社とは何ぞや、ということでまずは基礎知識を。
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。
(戸隠神社HPより引用)
うーん、長い!
とりあえず、戸隠山ってところに五つの神社があって、五つまとめて「戸隠神社」と呼ぶわけです。で、この五つの神社を全部まわるとバランスよく運気が上がるといわれています。これが五社巡り。
順番的には、「宝光社(ほうこうしゃ)」→「火之御子社(ひのみこしゃ)」→「中社(ちゅうしゃ)」→「九頭竜社(くずりゅうしゃ)」→「奥社(おくしゃ)」が一般的。
これが正式!とか順番なんてない!とか色々言われているようですが、私はこの順番でまわりました。
戸隠までは、長野駅から直通バスが運行しています。
戸隠古道を行く
戸隠山は、古くからの山岳信仰の地。多くの修験者が参拝のために歩いた道が、今も戸隠古道として残っています。
戸隠古道の起点は、飯縄山(いいづなやま)の麓。かつてはここに、戸隠神社の一つ目の鳥居があったのですが、200年ほど前の大地震で倒壊してしまい、今現在はその一部が残るだけ。
ここは現在、一の鳥居苑地という飯綱高原最大の自然公園となっています。
実を言うと柴原はバスを降りて早々、プチ迷子状態となってしまったので鳥居跡は見れませんでしたが...。
ここでも、ヤマツツジをはじめ、春の訪れから秋の紅葉までさまざまな植物が楽しめるようです。
さて、長野駅からの直通バスに乗ること約45分。一の鳥居を目指すべく、バスを降ります。
戸隠古道、というくらいだから、すぐに標識とかあるんじゃないか...?そんな私の期待を見事に裏切った一の鳥居バス停。
車はたまに通るけど、歩いてる人はひとりもいません。戸隠古道の方向どころか、一の鳥居苑地の方向さえわからず...。
でもまあ歩けばどっかに着く!と、車道に沿って進んだ先にカフェがあったので、そこで道を訊いてみました。戸隠神社に歩いていきたいんですけど、どっちに行けばいいですか...。
親切にも地図まで出して説明してくれたのですが、曰く、
「道はあるけど...熊の道ですよ?」
とのこと。
そうなんです、その熊の道を歩きに来たんです......。
~と、「熊の道」とは言いましたが、これが比喩ではないんですね、さすが長野。戸隠一帯も、ツキノワグマの生息地。神社周辺にも出没するらしく、熊鈴は欠かせません。
聞けばつい数週間前にも目撃情報があったばかりだそうで、20代女子ひとり歩きはさすがに心配されましたね。(笑)
何はともあれ、カフェでもらった地図のおかげもあって無事に戸隠古道へと入りました。
ここからまずは、宝光社を目指します。
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