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柴原智咲が自分の足で世界をあるいていくブログ

仕事をする、ということ。

 

 「仕事をする」とは一体なんなのか。

”働いて”対価をもらう、こと。”誰か”のために”なにか”をする、こと。"自分の時間"を使う、こと。

 

 私は、一年くらい前まで学生をしていました。詳しい経緯は省くものの、学生としての生活――小遣い稼ぎのアルバイトはしていても、学業の合間にやる程度――からの、仕事がメインの生活への変化は私のなかでは大きな変化。まああくまで雇用形態はアルバイトですが。

 

 学生生活の間は気づかなかったものが、見えるようになる。いい意味でも、悪い意味でも。

 

 「仕事」とはいっても通常の就活を経て入社した一般の会社員、ではないのでどこまでが一般に通じる話なのかもわからないですが、「仕事をする」なかで感じた事について書いていこうと思います。

 

「仕事」をする、とは

 まず気付いたのは、誰かの指示を確実にこなすことだけでは、仕事とはいえない、ということ。こなすだけでは、作業にすぎないんだ、ということ。

 

 「言われてやるのは作業、自分で探していくのが”仕事”」

 上司があるとき言っていたことばです。

 私は、学生時代のアルバイトを含め、接客系の仕事、チームプレーで進めていくような仕事に携わってきています。当然そこでは、協力することは必須。

 しかし、だからといって、上からの指示に従うだけでは仕事とは言えないんですね。難しい。

 

 

 ”仕事”とはなにか。

 私が思う”仕事”とは、やるべきことをこなしたうえで、自分で考えプラスして、より良いものを目指してアップデートしていくこと。

 ひとりでは成り立たないものを、動かしていくために、仕事がある。

 

 そもそも、”仕事をする”というのは、「ひとりでやるよりも大きなリターンを得る」ためにできてきた仕組みなのだと思います。

 

仕事のできる/できない

 同じ指示を聞いているんだから、多少の早い遅いはあったとしても結果がそう変わるわけじゃないだろう。私はずっとそう思っていました。

 

 でも、そうではなかった。

 仕事のできる/できないというのは、外からは見えなくても、一歩踏み込めばどこにでも存在しているのだと思います。

 

 学校の科目にも得意・不得意があったように、この人はこういうことをやるのがうまいな、とか、この人はこれをやらせても無駄な動きが多い、と感じることがあります。努力だけではない、本人の意志とはまた違う「適性」というものは大なり小なり、あります。見えていても、見えていなくても。

 

 言ってみれば当たり前のこと。”社会”においては当たり前の前提かもしれない。

 

 ”どの仕事も100%でこなせる人”の集まりというのは、存在しない。だからこそ、私は適正に合わせた仕事を任せるということが必要なのだと考えています。

 

「時間」を売っている、ということ

 この記事を読んでいる方もそうかと思いますが、学生、主婦の多くは「アルバイト・パート」としての雇用が一般的です。

 その給与はたいていが「時給」制。

時給でもなんでもいいじゃーんお金もらえるし!と私も思っていましたが、これってつまり、「時間」の対価として給料をもらっているわけで。

 時給950円、なら「1時間」を950円で売っているんだ…と。

 

 24時間しかないうちの、1時間。言ってみれば、時間の切り売りでもある。

 

 それなのに、対価が950円。...この対価が適正かどうかは時と場合にもよります。

だけど、たかがお金のためだけに、時間を安売りしてはいけないと思います。少なくとも私は嫌。

 

「時間」という代償がある以上、対価が「お金」だけになってしまっては割に合いません。 

 

それならば、どうするか。

 色々な適性があるなかで、「こなす」だけでは仕事にならなくって……。

 

 いちばん良いのは、好きで、楽しんでできて、且つ自分に合っている仕事をそれぞれが分担する。その結果、全体としてプラスになるものが作り出せること。

それがスタンダードになれば、とっても有意義だと思います。

 

 私が仕事をする前提は、「自分が楽しいと思うこと、少なくとも自分の糧になっていくこと」です。

 そうでなければ、やる意味ないじゃん。私はそう思っています。

 

  仕事を「しなければならない」なんて、そんなつまらないことってある??

お金を得るのが理由なら、自分が好きなことでお金を得る方法考えたらいいじゃん。この考えが通用するのは、今や若い世代だけではなくなってきているんじゃないか、と。

 

  よく言われていることですが、終身雇用の時代はもうすぐ終わって、個々が仕事を探し、作り出す時代は目の前まで来ていると思う。

 

  これからは、「自分の時間」の使い方の一つとしての、「仕事」のあり方が確立されてきてもいいんじゃないかなあ、と思います。